先日、別海町が所得ランキングで4位であることを書きました。
今回は、所得ランキングが全道1位の「猿払村」(さるふつむら)を紹介します。
(といっても、写真は少ないのでごめんなさい)
30年前のまだ子供が生まれる前、私たち夫婦は稚内市に2年間住んでいました。当時から「猿払村のホタテ御殿」は有名で、アザラシ見学のついでにこの「ホタテ御殿」も見学に訪れました。
「見学に訪れる」といっても、国道沿いに建ち並ぶ3階建ての豪邸地区を車から眺めみるだけなのですが。時間にして1〜2分間ぐらいのわずかの間です。
それでも、見学の価値があると思います。この豪邸地区の南北両方に通っている国道を1時間ぐらい車で走るとわかるのですが、この地区だけが、他の地区と違って「明るく」「華やか」です。
30年前、寂しさと厳しさしか感じさせない漁村が多かった道北で、この地区を目にした時は、驚き以外ありませんでした。
「なぜ、この殺風景な景色の中で、ここだけ豪華で華やかなのだろう?」
この「驚き」がその後ホタテを口にするときには必ず頭の中によみがえってくるので、一見の価値があると私は思います。
ただ、この地区が「明るく」「華やか」となったのは、1980年代になってからとのこと。それまでは、猿払村は極貧の村だったそうです。村長さんをはじめ、役場の方、漁師の方の必死の努力が実り、今があるとのこと。私はそう聞いています。
また、現在は超優良企業が猿払村に工場を作っていて、そこで勤務する方の給料なども所得を押し上げていると聞いています。企業誘致にも成功しているのですね。
先日、根室郊外から稚内までの1泊2日の旅行(800kmを車で移動)に行きました。
猿払村は、その稚内市への道中にあります。
まず驚いたのは、南隣の浜頓別町から猿払村に入った途端に道路沿いの整備も綺麗に感じて、「あれ、なんか綺麗になった。侘しさを感じなくなったような気がするけど」ということ。
次に。しばらくすると村営(?)の綺麗なホテルを発見。広大な駐車場もありました。次回の旅行はこのホテルに泊まって猿払村を起点に周囲を観光してみたくなりました。
さて、猿払村の市街地を抜けようとするところに、ホタテ御殿地区があります。
このとき30年前の記憶がよみがえってきて、この辺だったなと思ったときに、建ち並ぶ御殿が見えてきました。
「うわ、全てがより豪華になっているよ! リビングにシャンデリアが釣り下がっているお家もあるよっ! 」と主人と2人で、うわーうわーと声をあげながら通りすぎました。
嬉しくなりました。猿払村全体が綺麗で華やかになっていることに加えて、ホタテ御殿地区がグレードアップしていたことに。村の皆さんは今も努力を続けておられるのでしょう。
このホタテ御殿地区は観光地では無いので、地区の人々のプライバシーも考え、写真は撮っていません。30年前と同じく車から眺め見るだけの「見学」としました。
この地区を通りすぎて、その30分後、宗谷岬に到着しました。
最北端の地、宗谷岬が綺麗で明るい観光地に生まれ変わっていました。30年前は、人もあまり訪れることない、寂しさだけが漂う場所でした。大韓航空機撃墜事件の慰霊碑があり、真新しい慰霊碑が余計にここを寂しくさせていたのを覚えています。
ところが、30年後の今は、岬全体は綺麗に整備され、間宮林蔵の銅像などが立っていました。昔見た大韓航空機撃墜事件慰霊碑がどこにあるのか探しきれませんでした。宗谷岬は公園のようになっていました。
これとくらべると、我が家の近くの納沙布岬は「30年間,時計が止まっている」と感じました。
宗谷岬を出ると、利尻富士と夕陽を眺めながら、稚内市へ向かいました。
30年ぶりにみる稚内市。昔と街中は変わっていませんでした。
私たちが借りて住んでいたアパートも昔のまま残っていました。私が買ってきて取り付けたプラスチックの郵便受けがまだそのまま使われていました。
では、また