ダイヤ改正で、あずさの始発が東京駅に
2025年4月のJRダイヤ改正で、夕方の松本行きの「特急あずさ」が、今までの新宿始発から、東京始発に変わりました。
今までは、新宿駅から小淵沢駅に向かっていたのですが、4月からは、夕方になると東京駅を利用しています。
東京駅の混雑は少ないが
確かに新宿駅ほどではありませんが、この年になると東京駅でも人に酔うことがあり、人混みに疲れることが多いのです。
ゆったりできるお店を2軒見つけた
その一つが東洋軒です。
先日紹介記事を書いた、「クロワッサンのお店」のすぐそばにあります。
東洋軒にはカウンターもありますが、奥には4人席もあります。
ゆったりできる原因は、よく分かりませんが、夕方でも満席は少ないようです。
奥のテーブル席が外からは見えにくくなっているからでしょうか。
それとも、ややお高いから?
東洋軒ってどんなお店?
簡単に言うと、カレー屋さんです。
でも、「牡蠣フライ」などもあります。先日、牡蠣フライを注文したら、「注文があってから、牡蠣をフライにしますので、30分はかかりますが、お時間大丈夫でしょうか?」
とのことでした。
注文してから、牡蠣フライを作るのだそうです。
こういうお店、大好きです。
そして、ブラックカレーパンという、もちもち感のあるカレーパンも置いてあります。
カレーも、パンもテイクアウトできるようです。
この店に入る前は、「銀座に本店があるカレー屋さんが、東京駅にも支店を出しているのだろう」と勝手に想像していましたが、違いました。
セットのサラダは普通の感じ、普通のお味でした。
東洋軒の歴史
HPなどをまとめると
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創業と東京時代の歩み
東洋軒の創業は明治22年(1889年)、伊藤耕之進が東京・三田四国町(現在の港区芝)に牛鍋屋「今福」を開業したことに始まります。その後、明治30年(1897年)には伊藤博文や歴代の閣僚の薦めにより、「今福」の隣に西洋料理店「東洋軒」を開業。
東洋軒は宮内省御用達として皇居内の晩餐会などにも出張し、初代料理長の北垣栄七郎をはじめ、後に天皇の料理番として知られる秋山徳蔵など、数多くの優秀な料理人を輩出 。
三重県津市への展開と独立
昭和3年(1928年)、三重県津市の名士で陶芸家としても知られる川喜田半泥子氏の尽力により、「東京東洋軒」の出張所が津市に開設。初代料理長の猪俣重勝氏は、東京本社から赴任し、地元の人々に洋食文化の普及に努めたとのこと。戦後の昭和25年(1950年)には、本社からのれんを戴き独立し、昭和30年(1955年)には大正時代に建てられた百五銀行伊賀上野支店の建物を現在地に移築し、現在の店舗となった 。
名物といわれる「ブラックカレー」の誕生
東洋軒の名物料理である「ブラックカレー」は、昭和初期に川喜田半泥子氏が「黒いカレーができないか」と提案したことがきっかけで誕生。
猪俣料理長が試行錯誤を重ね、松阪牛脂と小麦粉、秘伝のスパイスを合わせてじっくりと煮込み、完成までに約一ヶ月を要するこのカレーは、見た目の黒さからは想像できないほどまろやかな味わい、とのこと。
現在の東洋軒
現在、東洋軒は三重県津市に本店を構え、東京や名古屋などにも店舗を展開。
また、オンラインショップでは名物のブラックカレーや松阪牛を使用した商品などを販売しており、遠方の方でもその味を楽しむことができるのだそう。
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以上の歴史を知って今後も利用したくなりました。
昭和の女です。
次は、もう一つのゆっくりできる店舗の記事を載せようと思います。
東洋軒の近くにありますよ。