物心ついた時からこのお店で鰻をいただいています。親子4代になるでしょうか。
先日、久しぶりに行きました。
このお店のことを、今まで、「吉塚うなぎ」と呼んでいました。
本当は「うなぎ屋」なのですね。私の周りでは、うなぎ屋と「屋」まで入れて呼ぶ人はいませんでしたが。
それはともかく、「やっぱり鰻はここね」と、どうしても思ってしまう福岡人です。
この記事で、お店のHPなどから「吉塚うなぎ屋」150年以上の歴史と特徴をまとめてみました。
「吉塚うなぎ屋」は、伝統の技と味を守り続ける老舗として、博多の食文化を支えています。その独自の焼き技法「こなし」や秘伝のタレ、厳選された鰻の使用など、他では味わえない魅力が詰まっています。福岡を訪れた際には、ぜひ一度足を運んでみてください。
吉塚うなぎ屋HP↓
吉塚うなぎの歴史
1. 創業期(明治6年・1873年)
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初代・**徳安新助(とくやす しんすけ)**氏が、福岡市博多区の「吉塚」という地にて創業しました。
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当時は、川魚を扱う店が多く、うなぎも庶民の味でした。
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店名は地名「吉塚」に由来しています。
2. 発展期(大正時代〜昭和初期)
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博多の繁華街への移転とともに、中洲にも支店を開き、順調に店舗を拡大しました。
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「うなぎといえば吉塚」と呼ばれるほど、地元で確固たる評判を確立します。
3. 戦中・戦後の苦難(昭和20年頃)
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第二次世界大戦中の空襲で、店舗を焼失。
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焼失後もあきらめず、中洲地区に支店のみで営業を再開しました。
4. 現在地への移転(昭和28年・1953年)
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戦後復興の波に乗り、現在の福岡市博多区中洲2丁目に本店を移転。
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立地も良く、地元客に加え、観光客にも知られる存在になります。
5. 店舗建て替えと現代(平成21年・2009年)
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老朽化に伴い、地上4階建ての現在の近代的な店舗に建て替え。
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従来の味と技を守りつつ、より多くのお客を迎えられる体制が整いました。
吉塚うなぎの歴史の意味
単なる「老舗」ではなく、
・戦争という時代の荒波を超え
・地元福岡・博多の人々に支えられ
・そして観光客にも「博多の味」として愛され続けてきた
という、大きな「博多の食文化の象徴」といえる存在だと思います。
吉塚うなぎの特徴
特徴1:独自の焼き技法「こなし」
私も最近まで、単なる関西風だと思っていましたが違いました。
吉塚うなぎ屋の最大の特徴は、独自の焼き技法「こなし」です。関西風の腹開き・串打ちの手法を取り入れつつ、焼きの段階で鰻を揉み・叩く「こなし」を行います。これにより、鰻からにじみ出た脂で表面がムラなく焼き上がり、外はカリッと香ばしく、中はふっくらとした食感に仕上がります。この技術は初代が考案したもので、現在も職人たちによって受け継がれています。
特徴2:門外不出の秘伝のタレ
タレについても知りませんでした。
創業以来、継ぎ足し続けてきた秘伝のタレも、吉塚うなぎ屋の魅力の一つです。ほんのり甘めのタレは、ふっくら香ばしく焼きあがった鰻の旨みをさらに引き立てます。このタレは門外不出とされ、他店では味わえない独特の風味を持っています。
特徴3:厳選された鰻の使用
吉塚うなぎ屋では、静岡・宮崎・鹿児島で真心こめて育てられた鰻の中から、さらに厳選したもののみを使用しています。鰻は育った水質や餌によって風味が微妙に異なるため、品質の良さにこだわり、季節を問わずおいしい蒲焼を提供しています。
特徴4:鰻への感謝を込めた「鰻供養祭」
毎年9月の第一水曜日には、鰻に感謝する「鰻供養祭」が開催されます。店舗1階の駐車場で執り行われ、博多川で約100匹の鰻の放流も行われます。この行事は、命をいただくことへの感謝の意を表す特別な日として知られています。
特徴5:著名人にも愛される名店
吉塚うなぎ屋は、多くの著名人にも愛されてきました。タレントのタモリさんが「日本一美味しい」と絶賛したことや、SMAPのメンバーが福岡ドームでのライブ公演の際に訪れたことなどが知られています。これらのエピソードから、「福岡といえば吉塚うなぎ屋」というイメージが定着しています。